カテゴリ:日々の暮らしで考えた( 45 )

GODZILLAを観た

面白かった。

いや、いい、実にいい!
ハリウッド新ゴジラ。
満足。
細かい事言えばいくらでも言えるけど、でも、満足。

なんつーか、こう、食欲、性欲、睡眠欲を3代欲求とか言うが、個人的には4つ目の欲求として「ゴジラ欲」というのがある。俺の場合、大抵一年に一回、例年だと大体正月の夜中辺りに沸々とその欲求が鎌首をもたげ、とにかくゴジラを観ないと収まりがつかない精神状態になったりするのである。
で、まあその時の気分で昔のゴジラのDVDを引っ張り出し、毎晩のように観ていると、数日してスーっと落ち着き、また日常に回帰できるという訳なのである。
映画を鑑賞してるとか言うのとはちょっと違うのである。ただそこにゴジラが映ってればいいのだ。皿洗いなんかしながらひょいとテレビの方に顔を向けるとゴジラが歩いたり吠えたりビルを壊したりしていてくれればいいという、そういう状態なのである。
その時の作品の選択と言うのは、だから映画の出来不出来はどうでもよくて、どういう顔したゴジラが観たいかでチョイスする。例えば「ゴジラ対ガイガン」というとてもじゃないが大の大人が素面で見る映画じゃないような映画でも、観たくなったりする時があるのだ。ゴジラとジャガーでパンチパンチパンチ!

で、今度のゴジラである。
ハリウッド製ゴジラと言えばローランド・エメリッヒがかつてやらかしたろくでもないガッカリ映画があった。
ゴジラと称する怪物は出て来るんだが、なんだか顎のでかい不細工なティラノサウルスもどきでしかなくて、しかも卵いっぱい産んだりして、え?メスなの?みたいなガッカリポイントもあり、さらにそこから出て来る子ゴジラたちはベロキラプトルもどきでますますガッカリみたいな、ともかくジュラシックパークのバッタもんでしかないガッカリ映画であった。
何が辛いって観ても全然ゴジラ欲が満たされないんである。

そんな前科があるもんだから今回のゴジラは実は観る前は「さて、どうしたもんかな」という感じでやや引き気味に構えていて、公開始まったらすぐ行くぞと言うような盛り上がりは実は自分の中になかったのである。
ところがなんか公開が始まるといい評判が耳に入って来て、アメリカの方では早くも続編の製作が決定したりなんかして、しかも続編にはキングギドラ、ラドン、モスラが出るぞ、なんて言う話が流れて来たりなんかして、そこまで来て急激にゴジラ欲が盛り上がって来た俺は、欲求に突き動かされるままに映画館へ足を運んだのであった。

観たかったモノが、まさに観たかった姿が大スクリーンの中に屹立していた。

いやー、満たされた満たされた。
ありがたいありがたい。
満足。

前半は焦らすんですよ。焦らし過ぎなんじゃないかなと思うほど焦らす。
なかなか姿を現さない。部分的には見えるんですよ。もうそれは始まった瞬間からタイトル出るより早く、背中とか見える。
チラリズムである。
でも全貌は見せない。
出た!
と思うと場面変わったりする。変わった先にあるテレビモニターの中に、わずかに映ってたりする。
焦らしまくる。
しびれを切らすほど、文句言いたくなるほど、「おい、もういいだろ」と思ってもそこから更に焦らす。
劇中ではすでに現れている段階になっても、なかなか画面に現れない。ところどころ、切れ切れにしか見せない。
フェザータッチである。
ありとあらゆるテクニックを駆使してこちらの欲求を最大限肥大化させる。
そしてついに姿を現すと、そこからはもうあられもなく全てをさらけ出してくる。
全身を使ってこれでもかと責めまくって、そのままフィニッシュ。
ハードコアである。
途中あれほど不満を感じていたのに、終わってみれば満足しか残ってない。
思うままにに翻弄されて、掌の上で転がされて、それでいて満足しきっていると言うだらしなさである。
スレイブである。

何か違う話題のように感じるかもしれないが、これはあくまで映画の話である。

とにかく満足した。
俺のゴジラ欲は満たされた。
見事に満たされた。
しかし、

正直なところ、満たされたが故に更に欲求が募っていたりする。
次、楽しみだなあ。
つーかそれ以前に、これのDVDとか買っちゃうんだろうなあ……
ああ、俺って、ゴジラ好きなんだなあ……
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by w-edge-t | 2014-08-19 22:05 | 日々の暮らしで考えた

兵庫県議があらわれた!

いやもう実際には、「こんらんした」のちに「さっていった」という段階ですが。
野々村竜太郎、兵庫県議。……今や「元県議」なのか?
号泣会見で話題をさらった後、よっぽどマスコミのオモチャにされたのが精神的に参ったのか、一切顔を出さなくなってしまった。

無論、問題の本質はおそらく政務活動費の不正疑惑……、いや十中八九疑惑じゃないだろうが。
ま、ぶっちゃけ詐欺であろう。
その点に関しては同情の余地はなし、ガンガン追及して頂きたいところではあるが、とはいえそれを伝えるニュースは事件の本質に迫るより会見の面白さの方に心奪われていて、「コレ泣き顔を流したいだけだろ」という不謹慎さは否めない。
もちろん、受け手であるこちらも不謹慎にその無様さを見て笑ってる訳で、構図としては大義名分の美名に隠れたイジメだわな、という気がしないでもない。

こちらも正直、そんな下衆な人間の一人であり、正直な心の内をいえば「参ったな」というのが本音である。
2014年に、記者会見をテーマに芝居を作って、野々村県議のネタを入れられなかったという事に関して残念だなという思いがある。
いや、まさか、佐村河内氏よりインパクトのある記者会見が、こんなに短期間のうちに現れるとは思わなかった。
今すぐリメイクしたいような思いにさえとらわれる。
ま、下衆な話ではある。

しかし、もしかするとまだまだものすごいのが出て来る可能性はある。
何せ野々村氏の一件で(正確には恐らくその前のセクハラ都議の一件との合わせ技で)、世間は、「地方議会には色々と叩けばホコリの出る連中がいるに違いない。そしてホコリが出るような立場ならいくら叩いても大丈夫だぞ」と目を付けてるっぽい感じがするからだ。

早速、青森の方で市議が20人中15人逮捕と言う大ネタが来た。
いきなり逮捕までいっちゃったので記者会見はないかもしれないが、例えば以前の別件の会見の様子なんかを引っ張り出してテレビにかけたりは今後あるかもしれない。

そんなこんな考えていると、まあこのネタを引っ張っても仕方ないわな、と思ったりもする。
これ以上下衆になっても仕方ないじゃないか。なんて。
という訳で他のネタを探す日々である。
もう一本くらい、年内に芝居をやりたいと思っている。
いずれにせよ、現代、今この時をテーマにしつつ、普遍性を持った舞台を作りたい。
そう、いつも思っている。
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by w-edge-t | 2014-07-18 11:56 | 日々の暮らしで考えた

面白い物語を書こう

なんかもうどうしようもなく間が空いてしまった。
やはりブログは「書かねば」という使命感でやっても長続きしない。
書きたい事があって書かなければ続くものではない。
まあ肩の力を抜いて、間が空くのもあきらめて書きたくなった時だけ書くしかない。

世の中色んなことが起こってはいる。東京の大雪はすごかった。都知事選もあった、STAP細胞の発見なんていうのもあった。有名作曲家のゴーストライター問題もあったし、冬季五輪も始まってたりする。

ブログを更新していない間の出来事だと、去年の年末、呑気にテレビを見て過ごした中で、NHK-BSの「神の数式 完全版」は面白かった。理系でもなく数学の知識などさっぱりない身に、わかる範囲に噛み砕いて最新の数学界の成果を説明してくれた同番組は、知的興奮を喚起してくれる実に面白い番組だった。

結局のところ、我々は物事を物語化して理解する事しか出来ない。どうやら人類というのはそういう脳みそになっているんじゃなかろうか。とりわけ、自分の専門外の事は、専門の人に物語化してもらわないと理解出来ない。そういう事なんじゃないだろうか。
物語とはその意味において誰にでも理解できる最大公約数だ。数学の数式が理解出来ない者は、「数学者、物理学者達の真理を探究する絶え間ない歩みの物語」として捉える事で、ようやくその意味を共有できるという訳だ。

つまりは物語とは、世の中の出来事を、ある真理を、噛み砕いて人の口に入る形に直す作業だとも言える。
それはそうだ。どんなに嘘八百の作り話であっても、そこに一抹の真実がなければ物語は輝かない。僕らはいつもそんな物語を作りたいと願い、努力する。その意味においてフィクションとノンフィクションの間に差はない。

その大変よく物語化された「神の数式」と同じNHKスペシャルで取り上げられ、今問題になっているのが、作曲家、佐村河内守氏の物語である。
彼が語った物語は、真実に根ざしていなかった。クラシック音楽を知らない者達がクラシックを理解するためになされる筈の物語作りが、むしろ真実を隠蔽するための物語になってしまったという事であろうと思う。そしてその嘘がバレた時、戸惑ったり、憤ったり、それでは真実の物語はどうだったのかを探ろうとする動きが生まれていると、そういう事だろうと思う。

スポーツイベントで感動するのはそこに物語を感じるからだ。一人の選手を長く見てきて、物語を共有していればいるほど、感動は深くなる。

現実のどこをどう切り取れば、その出来事を表すのにふさわしい物語が出来るか、それは出来事によって違う。STAP細胞発見の物語を書き出すのに学生時代の卒業アルバムを持ち出すのはふさわしくないと誰もが思ったから、その報道は批判されたのであろう。都知事選において、原発ゼロか否かという争点で物語を盛り上げようとしたマスコミは、大多数の都民より東京の事をよく理解していなかったのだろう。受け手のレベルより単純化された物語など退屈でしかない、投票率が下がるのも当然だ。亀田三兄弟の物語に最初はノった大衆が離れたのは、その物語の盛り上がりどころである試合自体があんまりにも面白くなかったからだろう。

面白くなきゃダメなのだ。だがそれは現実をねじ曲げて、嘘を塗り重ねてただ上っ面を整えればいいという事を意味しない。そんな底の浅さはかえってつまらない。本当に面白ければ、それで皆納得するんじゃないだろうか。

つまらない物語にはノーと言おう。そして面白い物語を生み出すために努力しよう。俺にはそれしかない。
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by w-edge-t | 2014-02-10 12:50 | 日々の暮らしで考えた

特定秘密保護法案

最近は基本的にニュースの仕入れ先がネットである。
ニュースサイトだったりポータルサイトのヘッドラインだったりまとめサイトだったりといった感じである。
新聞も取ってないしテレビのニュースもほとんど見なくなっている。
ヘッドラインなんかだと文字数の関係で途中で切れてるのもあったりして、そういうのは元記事まで見に行かないと何の事だかわからない。でも見に行かない事が大半であるから全然理解してない記事もある。この辺はテレビ見てれば一応最後まで説明はしてくれるから出来事の全体像はわかるだろう。その辺はテレビがニュースソースの人より劣っている所だと思う。
逆に興味のあるヘッドラインだとリンクを辿って行ったり単語で検索したりしてそもそもの所まで自分なりに追っかけたりする。これは新聞やテレビで見てた時代より良くなった所だ。
まとめると興味のある記事についてはきちんと調べるようになったが、興味のない記事に対してはより調べなくなった、という事だろうか。
そう考えてみると全く問題ない気がする。
新聞だって興味のない記事は読まないし、テレビでやってたってチャンネル変えてしまう事の方が多いだろう。差し引きで考えれば現状の方がよっぽど情報収集としてマシな状態だと思う。

ただ時々、新聞テレビとネットとで、本当に同じ事を取り上げてるのか?というぐらい温度差があったり意見の隔たりがあったりする事柄があって、新聞テレビ派の人と話してその事に気付いて驚く事がある。

多くは要するに「ネット悪論」的な奴である。出会い系サイトで知り合って殺人みたいな事件の時であったろうか、新聞テレビで大々的に「そもそもネット事態が恐ろしい」みたいな言説を喧伝する訳だが、ネットでそんなものが広く流布する訳がない。だってネット見てる奴はネット使ってるんだから。有害サイトがあるって言う話なら盛り上がりもするだろうがネット全部を十把一絡げ的に悪いと断じるような論にリアリティを感じる訳がない。

んで今、また新聞テレビ世論とネット世論で著しく温度差がある話題として例の「特定秘密保護法案」絡みがある。
朝日新聞の世論調査とニコニコ動画でやった世論調査が真逆ぐらいの結果になったと言うんである。朝日新聞は反対が7割、ニコニコは賛成(に近い意見)が7割弱、という。

えらい極端に結果が変わるなと驚き、改めて新聞テレビ系の同法案に対する報道を(まあネットでだが)調べてみるに、まあ相当極端に「悪法でありつぶすべし」一色に塗りつぶされている印象だ。
ま、正直気付いてなかった訳でもないのだが、あんまり極端で頭悪そうなので今まで目を背けていたのだ。

驚いたのはペンクラブだの劇作家協会だの映画人の会だの、政治と関係ないだろというグループが反対の声を上げている事である。なんか言論の自由を守るみたいな大義名分のもと、反対してるようなのである。
率直に言って特定秘密と言論の自由がどう繋がるのか理解出来ない。
国の重要機密を漏らす事が言論の自由って事はないだろう。国が安定してなきゃ自由に言論を戦わせる場所すらなくなっちゃうんだから。それよりは放送禁止用語の方がよっぽど問題だと思わなくもない。
なんか「車が好きなら自由に走らせる事の出来ない道交法に反対するべき」っていうぐらいな無理筋を感じる。
まあ顔ぶれを見て思うのはニュースの仕入れ先がネットじゃなく新聞テレビな人の集まりなんだろうなと言う事だろうか。

言論の自由を守るために、特定秘密保護法案に賛成します。

っていうのはダメなのか?
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by w-edge-t | 2013-12-05 13:32 | 日々の暮らしで考えた

最近読んだ本

いかんいかん、また間が開いてしまった。
更新が一ヶ月以上滞るとブログトップに広告が載る。
よそのサイトでも広告が載ってる所を見ると「ああ、もうここはあまりアクティブに更新されてないんだな」と思ってあまり見に行かなくなったりする。
だからそれだけは避けなければと思ってたりするのだが、気付いてるだけでこれで二度目だ。
いかん。もう少しマメに更新したいものだ。

とはいえ、状況は一つ前の記事からあまり変化はない。
活動してない訳じゃないし、色々仕込んでるんだが、形にならんのだ。
そういう時期もあるし、仕方ないのだ。地道にやっていくしかない。

こんな時は芝居以外の事を書けばいいのだ。
そういやここんとこ、ノンフィクションの本を読みあさっている。例のキンドルである。
紙の本だったら分厚さにくじけそうな本をガンガン買って読みあされるのはデータの気軽さがあるからだろう。
きっかけは映画「スティーブ・ジョブズ」であった。
映画自体の評価はさておき、つくづくジョブズと言う人物は面白い。
んで、ジョブズの本を何冊か読むか、という辺りから始まり、じゃあ次はグーグルのノンフィクションでもいってみる?となり、だったら次はFacebook?、その次はAmazon?てな感じで次々シリコンバレーの成功組の本を読んでいるのであった。
一応、タイトルを列記してみる。

「ジョブズのすべて 『フォーチュン』が追った25年」
「スティーブジョブズスペシャル ジョブズと11人の証言」
「グーグル ネット覇者の真実」
「フェイスブック 若き天才の野望」
「ワンクリック ジェフ・ベゾス率いるAmazonの隆盛」

このうちワンクリックはまだ読んでない。次に読む予定で買った本だ。
あ、あと途中でちょっと横道にそれて「マネーボール」というのも読んだ。映画化もされたメジャーリーグ、アスレチックスの裏側を描いたノンフィクションだ。これも抜群に面白かった。
どれもとても面白いし、興味深い。
グーグルという会社の、世界中の全ての情報にもっと簡単にアクセスできるようになるべき、というあまりに壮大なビジョンとか。
Facebookのザッカーバーグが考える、個人情報はもっとオープンであるべきと言う哲学とか。
それぞれにすごく魅力的であり、示唆的であり、とても引き込まれる物を持っているのであった。

何かこの感覚を、今後の芝居に活かしていきたいなーと思う、昨今である。
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by w-edge-t | 2013-11-27 11:33 | 日々の暮らしで考えた

裸眼で街を歩く

昨日、メガネを新調した。
近視が進んだからでも老眼が入ってきたからでもなく(いや実際は若干老眼入ってきてるようだが)、前のメガネが壊れたからである。
一昨日、出先でぶつかった瞬間に真ん中から綺麗に真っ二つになった。6〜7年使っていたのでだいぶくたびれていたんだろう、ほんのちょっとした衝撃でパキンといった。左右バラバラ、モノクル二つという状態である。弦が折れたぐらいの事なら何とか無理にでも鼻に引っかけて歩くところだが、真っ二つとなるとそうもいかない。なんともかけようがないので仕方なく、裸眼で街を歩くハメになった。
そのとき頭をよぎった不安たらなかった。
恐怖といってもいい。
何せこっちは10代からメガネかけているのである。裸眼で外歩くのなんて一体どれぐらいぶりだか思い出せん程久しぶりである。何もかもボヤボヤの世界に放り出されて果たして俺はまともに活動できるのか?

結論から言うとなんて事はなかった。全然大丈夫だった。
確かによく見えないけど、その分勘が働くようになっていた。
看板の文字は読めないが、恐らくここが入口だろうなとか、こっちがトイレだろうとか、この列が求める切符の販売列だろうとか、おおよそ街中での身の処し方に関しての常識みたいなもので、何とか補う事が出来たのだった。

メガネをかけるようになって早30年以上が経つ。
その間視力は右肩下がりに失う一方だが、一応その分社会常識のようなものは身に付いたようである。

生物としての機能は年々下がり続けている。ぶっちゃけた話、俺の成長期はとっくに過ぎた。あとはもう時々刻々、着実に衰え続けているばかり。その先に待っているのは死だ。
何とかその日を先延ばしにしようと色々な知識やら常識やらで武装しているが、根本的な問題は変わらない。ただただ下り坂を下ってるだけ。下るのが遅くなる瞬間はあっても決して登る事はない。
まあそれでいいやと思う。
いずれ死ぬ。どうせ死ぬ。どう生きようと最後は同じ。そう思うからこそ思い切り大振りなこんな人生を送れるのだ。

無論、まだまだ死ぬ気はない。新調したメガネをかけて、明日からまたあがく予定である。
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by w-edge-t | 2013-10-08 21:11 | 日々の暮らしで考えた

任天堂山内前社長死去

まあさ、ファミコンだよ、ファミコン。
なんか色々ゲームもしたけど結局ファミコン。
テレビゲームはファミコンだけでいいや。
こっちが新しいものについていけなくなったオッサンになったってだけの事だろうけど。
でも実際面白いからね。手軽だし。乱暴でいいし。
ドラクエⅢの時一晩並んで買ったとかの想い出分も上乗せされてるし。

上乗せ想い出エピソードとして山内社長の存在も大きかったなあ。
含蓄ありつつ、全方位にけんか売ってるような発言多くて面白かったなあ。

任天堂ってことではトランプ、光線銃あたりから相当色々楽しませてもらいました。
ご冥福をお祈り致します。
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by w-edge-t | 2013-09-20 16:38 | 日々の暮らしで考えた

にわかにスタートレックブーム

周期的にやってくるマイブームがいくつかある。
そのうちの一つがスタートレックだったりする。
無論きっかけはただ今絶賛上映中の映画「スター・トレック イントゥ・ダークネス」である。
映画観て「あ〜楽しかった」で終われば別にブームというほどの事もないのだが、そこから遡って古いのを漁っていったりして、今なお継続的にスタートレックの世界を味わい中であったりする。

今さら説明するまでもなく今やってる映画はざっくり言ってリメイクであり、オリジナルは1960年代のテレビドラマである。以降続編も含めてテレビシリーズが5本ぐらい、映画だって昔のキャストのも含めれば10本以上あるだろう。漁ればなんぼでも時間は潰せる。
ただ、俺が浸ってるのは映像作品ではない、小説版である。
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オリジナルのテレビシリーズを小説化した本で全部で13冊ほどある。
とっくの昔に絶版になった本だがこうして何年かに一度、思い出しては取り出し、繰り返して読んでいる。
テレビドラマの1時間のエピソードがおおよそ50ページ前後にまとまっており、1冊に大体6〜7本収録されている。
何度目かもわからないほど繰り返し読んだ本を今再び読んでいるがやはり面白い。
今となっては映像があまりにチープになってしまったオリジナルテレビシリーズそのものより、想像力に訴えかける小説版の方が、物語の本質的な面白さのみに焦点があたるためか却って色褪せないとも言える。

面白いだけでなく、SFならではの自由で多様な物語郡は今なお大事なお手本であり、俺の原点、大袈裟に言えばバイブルでもある。
あまり映像に頼らず、アイディアだけで誰も見た事もない世界を描こうとする当時の心意気は、結局のところ役者の演技で全てを表す芝居と言うメディアに似ていると言えなくもない。
その意味でも、改めて触れる事で次の自分の作品の参考にしようと思っているという事もある。

本自体、だいぶ古くなった。普段はブックカバーをかけているのだが、今回上の写真を撮るのに外してみて、改めて驚いた事がある。裏表紙だ。
a0206068_9215851.jpg
中央に出版社のマークがあり、下端に値段が書いてあるだけの、シンプルな裏表紙。
そこにはバーコードもなければISBNさえふっていない。消費税もなかったのでその記述さえない。
驚くべきシンプルさ。
最近の本とは隔世の感がある。
なんというか同人誌みたいである。
奥付けを見ると初版の発行が昭和52年、手元のものは10刷目で昭和57年となっている。
時代を感じさせる。

時代を感じるのは印刷された内容だけではない。色褪せ、歪み、巻によってはページが外れてバラバラになりそうなものもある。その佇まい自体が、歳月を感じさせる。
今まで決して大事には扱ってこなかった。むしろズボンのポケットにねじ込んで出先で取り出して読むような事を繰り返してきた。それゆえに愛着のある本たちでもある。これからまだまだ、何度も読んでいくのだろう、そしてその度、新たな発見をしたりするのだろう。
次のマイブームはいつ来るだろう。それまで再びブックカバーをかけ、大事に本棚に戻しておきたい。
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by w-edge-t | 2013-09-03 09:32 | 日々の暮らしで考えた

時は移ろい世界は変わる

そんな大袈裟な話かどうかわからないが、煙草をやめて3年ほどになる。
その前はヘビースモーカーだった。およそ20年くらい途切れる事なく吸ってきた。最後の方は一日に3箱ぐらい吸ってたと思う。ほとんど途切れる事なく咥えていた。
それがまあ、タバコ税値上げ辺りで嫌気がさして禁煙に踏み切ったのだった。
1日3箱からいきなりゼロへというのはさすがに自信がなかったので、当時ちょっと流行っていた電子タバコというのを利用した。
あれはカートリッジに入った味付きの水を水蒸気にして吸い込む仕組みで、ニコチンやらタールやらは全然ないのである。禁断症状に対しては何の効果もないが、口寂しさを紛らわせるにはいいものであった。
で、そんな移行期間を経て禁煙、その後電子タバコも吸わなくなり、綺麗さっぱりその種のものをやめてしまった。
禁煙してみて、振り返って思うのは、巷間言われる「3日目が一番辛い」は真実だった、という事である。後から考えると山は3日目だった。やめて3日目が一番吸いたくなる。その後はそれ以上の切羽詰まった欲求は襲ってこなかったように思う。
ただ、自分では「止めた」という意識はなかった。
これは一時的な禁煙であって、いずれそのうち、また気が向いたら吸おうと思っていた。
タバコ自体を嫌いになったわけじゃないので、永遠にお別れという意識はなかったのである。
実際、今でもタバコが嫌いなわけじゃない。よく禁煙するとタバコの匂いも嫌いになるなんて話も聞くけれど、俺は全然そんな事はない。
出先で喫煙所とかあって、もうもうと煙が立ちこめている場所のそばを通ったりして、プ〜ンとタバコの匂いが漂って来たりすると、今でも「うわあ、いいにおい」と思うのである。打ち合わせの席で相手がタバコ吸ってたりしても、気持ちよくなる事こそあれ、不快な思いなど一つも持たない。その意味では今でもタバコが好きなのである。
吸いたくて夢に出るというような事はないのだが、嫌いだとも思わない。タバコとの距離感はそんな感じである。
じゃあいつもう一度吸い始めるのか?
そう思って改めて色々考えてみると、そこで「世界が変わった」事に気付いた。

かつてタバコはカッコいいものであった。
最近、レンタルビデオで昔の石原プロのドラマなんか見る機会があったのだが、もう渡哲也なんてシーンが変わって出てくるたんびにまずタバコの箱を取り出し、そこから一本出して口にくわえ、おもむろに胸を探ってライターを取り出し、火をつけ、タバコにかざして火を移し、思い切り吸い込んで大量の煙を吐き出す……、という一連の所作をするのである。場面によっては更に何口か吸う。場面によってはそのまま吸い続けて無言のまま消すところまで行く事もある。1時間ドラマの中で下手すると5回ぐらい上記の手順を繰り返す。1回2分としてそれだけで10分潰れるのである。そりゃ男たちは寡黙でも間が保つよなという感じである。
どこででも吸う。相手も吸う。持ってなくても吸う。相手も持ってるからもらえるのだ。或いは相手にあげる場合もある。とにかく吸う、皆で吸う。思い思いにカッコを付けて吸う。
高級なライターを持っている。それぞれにカッコイイものを持っている。慣れた手つきで火をつける。持ってなくても誰かが持ってて差し出してくれる。それもなければマッチがもらえる。喫茶店には必ずマッチがあった。タダでもらえた。咥えれば火をつける手段はどこにでもある。
吸えば灰皿が出てくる。すっと灰皿を出すのがさも女のたしなみとでも言わんばかりに女たちが笑顔で灰皿を差し出す。外なら地面に捨てる。誰からも文句は言われない。

無論これが全て現実だとは言わない。石原プロ的誇張はある。あるがしかし、まんざら嘘でもない。タバコはカッコいいものだった。どうしてカッコ良くいられたのか?手間のかからないものだったからではないか?
ライターも灰皿も、なければないなり、どうとでもなるものだった。下手すりゃタバコ自体ももらえるものだった。だからカッコ良くスマートに決める事ができた。
今はどうか?タバコ吸おうと思ったら、まず喫煙所を探し、そこに移動して、自分のタバコに自分のライターで(自分のではあるが大抵は100円ライターだ)火をつけて吸い、場所によっては灰皿も持参して吸い殻を回収して帰る。
全然スマートじゃない。
煙草自体は変わらなくとも、その周囲の状況が変化してしまった。今、煙草をカッコ良く吸う事、スマートに決める事は不可能に近い。

多分社会は意識してそのように変化したんだと思う。喫煙人口を減らすためには、スマートに吸える環境自体をなくす事に意義がある。だから今の社会になっているんだと思う。

そして俺自身も、今改めてタバコを吸おうと思うとき、その手順の多さというか、準備しなければならない事柄の多さに、嫌気がさして吸う気が起きないというのが現実だ。気の向いた時にすっと咥えて一服したいのだ、わざわざ喫煙所探して、携帯灰皿持ってるかどうか確認して、それから吸いに行くとか、まどろっこしくてやってられない。

俺自身は変わってないつもりだ。相変わらずタバコの匂いは好きだし、オイルの切れた愛用のジッポーは、今なお部屋の棚に飾られている。
だが社会が変わってしまった。もうタバコを吸う社会は戻ってきそうにない。俺が吸いたいようにタバコを吸える時はもう来なさそうだし、嗜好品なんだから吸いたいように吸えないなら、吸わない方がいい。

健康にも良さそうだし文句があるわけでもない。今の社会の方がかつてのどこ行っても煙モクモク社会よりあり方としてはましだと思う。
ただ社会は変化してしまってもう戻ってこない。その事実を思うと、ふと目を細めてしまう自分がいるだけだ。
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by w-edge-t | 2013-06-13 11:46 | 日々の暮らしで考えた

いよいよと言うか、ようやくと言うべきか

さて、
いよいよと言うか、ようやくと言うべきか、
今年のダブルエッジ本公演の日程が決まった。
このブログ右上に掲載したように、8月2、3、4日である。
会場はいつもお世話になっている明大前の「キッド・アイラック・アート・ホール」さんに今回もお世話になる事となった。
現在、俺が企画書を書き田辺の了承を得て、いよいよ台本の執筆にかかったところである。
ダブルエッジの原点とも言うべき、ワンシチュエーション、少人数、それでいてドラマチックな作品、そんなものを目指して作っていきたいと思っている。
タイトル、ゲスト出演の役者さん、タイムテーブル等はまた改めて発表させて頂きたいと思う。
全力でかかるのでどうかご期待頂きたい。

閑話休題。

最近知ったのだが、「エンダーのゲーム」が映画化するそうな。
予告などがネットに流れてて知った。
「エンダーのゲーム」ご存知だろうか?
1985年ヒューゴー賞、1986年ネビュラ賞を取った傑作SF小説である。
人気があり続編も多数存在する。とりわけ直接の続編となる「死者の代弁者」はなんとエンダーのゲームの翌年に、ヒューゴー、ネビュラ両賞を獲得した大傑作だったりする。
シリーズ物が連続してこれらの賞を取ると言うのは他に類を見ない出来事だったりするのである。
それほど、SF界では抜きん出た傑作なのである。
SF好きの俺としては当時夢中になって読んだものであった。

それが、いよいよと言うべきか、ようやくと言うべきか、今年なって映画化すると言う。
正直、期待半分、不安半分な感じだったりするのである。
さて、とりあえず、久しぶりに原作に目を通してみようかしら?
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by w-edge-t | 2013-05-21 22:07 | 日々の暮らしで考えた


世界最小の劇団ダブルエッジの作家の方のブログ


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高山なおき プロフィール

ダブルエッジ 作家
1969年7月6日生まれ

主な作品
○映画
「娘道成寺~蛇炎の恋~」(高山由紀子と共同)

○演劇
「ダブルエッジの忠臣蔵!」
「輪廻くん」
「天気待ち~waiting for the sun~」(奈良橋陽子と共同)  他

○ラジオドラマシナリオ
NHK-FM「魔法の王国売ります!」他

○テレビドラマシナリオ
NHK「ゴーストフレンズ」 他

○ゲームシナリオ
東芝EMI「ずっといっしょ」

○小説
ZEST「ずっといっしょ~秘密の星空~」

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