カテゴリ:日々の暮らしで考えた( 45 )

季節は巡りて3.11

前に記事と同じ感慨を今日も抱く。
振り返ればあっという間である。

去年の今日、何をしていたか思い出してみる。
その日は芝居の稽古初日であった。
稽古開始の時間が近付く中、そろそろ準備をして家を出ようかどうしようかという頃、アレが起きた。
揺れの最初から「これはデカイ」という直感があった。
リビングにいた俺は咄嗟に周囲を見回し、窓やら戸を開け放ってから、本棚の前に本を押さえながら踏ん張って立った。
うちの本棚は山ほど本が詰め込まれており、倒れたら後片付けが面倒だと思ったからだった。
やがて揺れは収まった。
すぐにテレビをつけ、家の中を見て回り、ガスや電気をチェックして、家族に電話連絡を試みた。
携帯はほとんど繋がらなかった。
繋がらないものは仕方ない、家族の次に心配なのは相棒の田辺である。
繋がらないかもしれないが、ダメもとで掛けてみる。

……余裕で繋がった。実はダブルエッジは二人ともウィルコムだったのである。
「今電車の中。窓の外に稽古場見えてるんだけど出られない」
割と呑気な声に安心した。

その後、うちの家族、近所に住む親、田辺と共演予定だった女優さん、とりあえず全員迎えに行ってうちに来てもらい、その日は泊まってもらって過ごした。全部で7人ぐらいだったろうか。手分けしてコンビニに買い物に走ったり、残り物で豚汁つくったり、ニュースを見ながらあれこれ話し合ったり、電話連絡でそれぞれに家族の安否を確認したり、誰かが確認できるたびに我が事のように皆で喜んだり……。
最後はみんな疲れ果てて、早々にリビングで雑魚寝した……。

大変な1日だったけれど、大勢いてくれたので本当に心丈夫だった。
忘れられない思い出である。

うちは東京だから、たいした被害ではない。東北の、本当に被害直撃だった方々に比べれば、本当に対した事はない。
それ故に言える無責任な事かもしれないが、あの日、みんなで過ごした一夜は、人のぬくもりを感じられる素敵な思い出として、俺には残っている。

地震だけなら、耐えられる。自然災害なら、手を取りあえる。励ましあえる。辛いけれども辛いなりに何とか乗り越えられる。
そう思う。
しかし、現実には、その後原発事故と言う新たな局面に入ってしまった。
放射能問題は今も尾を引く。過去に例がないから、対処も手探り。収束はあまりに遠い。
それでも俺たちは生きていく。
表面上は震災以前とさして変わりないように暮らす。
そりゃそうだ、年がら年中額に青筋立てて生きる訳にはいかない。それが正しいとも思わない。
だが、終わった訳でもない。それも事実だ。
なにかが決定的に変わってしまった。一見同じように見えるけれど、あの日以前と以後では、何かが決定的に変わってしまった。
世界は変わり、もう元には戻らない。
それでも俺たちは生きて行く。これからもまだまだ生きて行く。
まだ先は長い。まだほんの一年経っただけだ。
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by w-edge-t | 2012-03-11 14:53 | 日々の暮らしで考えた

時の経つのがはやくて困る

別段それほど間があいた気もしないでいたのに気がつきゃ三月である。
本番から一月近くが経とうとしている。
しばらくぶりにブログを見たらコメント欄に自動っぽいエロコメントがついてて慌てて削除した。
よそのブログでしばらく放置されてるとそういうコメントばっかりあふれて誰も近寄らなくなるのをいくつか目にした事があったけど、まだ開設して一年も経たないうちにそっちに仲間入りする訳にもいかない。
これからはもう少しマメに手入れしなくちゃと思う次第である。

ダブルエッジは田辺も高山もおかげさまでよそでチョボチョボ声をかけて頂いて、あれこれやっている。
ダブルエッジとしては今年最低でもあと2本はやりたいと話しているが、まだ具体的にお知らせできる段階まで進んでいなかったりする。
二人がそれぞれ別の企画に関わっていると、どうしても二人での打ち合わせの時間が減ってしまって自分とこの企画が停滞するという、……こういう所が二人だけの劇団のよろしくない所である。

いずれにせよ、むこう一ヶ月ぐらいの間には動き出すと思う。しばしお待ち頂きたい。
ちょっといつもと変わった事をやるつもりである。
ま、いつもが変わってない訳ではないが……(笑)
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by w-edge-t | 2012-03-02 15:37 | 日々の暮らしで考えた

昨夜は皆既月蝕

いやー、面白いものだ。
皆既月蝕。
日蝕と違って意外とちょくちょく起こってるらしいが、きちんと観察した事ってなかった。
今回、たまたまタイミングがあったので、ビール片手にのんびり空を見上げてみた。
9時45分頃から欠け始めるとニュースサイトで見たのでその頃に外に出てみる。
すでに端の方が黒くなっていた。おちょぼ口のパックマンと言った風情である。
寒かったのでずっと外にいてみる事はできなかったが、その後も間を置いて何度か外に出て見上げた。
徐々に欠けていく月は何か宇宙を身近に感じさせてくれて、不思議と心が躍る。
とりわけ面白かったのは月の輝きがどんどん減っていって、ちょうど半分を超えた瞬間だ。
それまで光の方が強く、そのコントラストのせいで欠けた部分は真っ黒に見えていたのが、半分を過ぎると途端に光の力が弱まり、暗い部分の表面が見えるようになるのだ。
そうやって現れた本物の月の表面は赤黒く、確かにあれは石の塊だと思わせるものであった。

肉眼で見える程間近に、巨大な石の塊が浮かんでいるという景色。
という事は我々の立っているこの大地も、きっと同じように虚空にポカリと浮かんでいるのだろう。
普段はほとんど意識しない、「宇宙」というものが、その通りの物理現象としてそこにある感覚。
どこか頼りなく恐ろしいような、それでいて嬉しくなるような、意識が追いつかないほど広い空間がそこにある。

ダブルエッジ次回作は宇宙を舞台にした物語である。
少しでも、この現実が持つダイナミズムを取り込む事ができたら……、と夢想しながら、わずか3時間ほどの濃密な天体ショーを堪能した。
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by w-edge-t | 2011-12-11 10:10 | 日々の暮らしで考えた

嫌になっちゃう

なんかもう嫌になっちゃう。
このブログ書き出して、訃報のニュースを元に記事書く事が続く。
長門裕之さん、スティーブ・ジョブズさん。
そんでもって本日のニュースが立川談志さんである。
好きだった人がドンドン亡くなっていく感じ。
そういやこないだ小松左京さんも亡くなった。
ホント勘弁してってぐらい、自分が育ってくる過程で、あっち行こうかこっち行こうかって思った時に、『この人スゲエからこっちに行ってみよう」みたいな、判断の基準になった人たちというか、今の自分を形作る部品のひな形になった人たちみたいなのが、ここ最近ホントドンドン亡くなっていってる感じなのである。
なんだこれは?
俺が歳とったと言う事なのか?

まあそうなんだろうな。
俺が思春期とかを過ごした頃と前後して、第一線で華々しく活躍した方々がそろそろ鬼籍に入るタイミングになったという事はつまり、俺が大分歳食ってきたと言う事を示しているのだろう。

正直、訃報絡みの記事ばっかり続くのが嫌なのである。
そんなのばっかり続くブログって暗くって嫌だなって言うのもあるけど、そもそもそれ以前に自分自身に対して嫌。
どういう事かというと、上記の方々の事はホントに好きだった筈なのに、最近はすっかり目を向けなくなってて、改めて考えるきっかけがその当人の死のタイミングって言うのが、何か自分自身が思索活動をサボっていた事を突きつけられてるようで自己嫌悪なのである。

談志さんのファンだった。それは間違いない。
落語のDVDもずいぶん観た。著書も読んだ。考えた。自分の芝居に取り入れられる物はないか?何とか色々吸収しようと見返したりした。
直接的に参考になった物もあるし、もっと深い部分で自分に染み込んで変化のきっかけになった事もあると思う。
無論年がら年中談志さんの事を考えていた訳ではない。それこそ近年はあまり目を向けていなかった。自分の中での言い訳としては、「もう談志のことは一生分考えたからいいや」と言う気分だった。
まあね、好きだからったって、人間、年がら年中改めてその相手の事ばっかり考える訳はないのだ。奥さんの事でさえ、時には忘れるのが人間だろう。ましてや赤の他人だから、気にしない時間の方が長い。
で、改めて思い出して突きつけられるのが亡くなった時なのである。
そして気付く。何にもわかってなんかいないぞ、全然一生分なんか考えちゃいないぞ、と……
でももう取り返しがつかない。情けない。

頭を動かそう、手を動かそう。
考えよう、形にしよう。
それしかない。
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by w-edge-t | 2011-11-24 14:19 | 日々の暮らしで考えた

スティーブ・ジョブズⅠ、Ⅱ読了

面白い本だった。
というか、本人が面白いのだ。
改めてスティーブ・ジョブズと言う人は面白い人だなーと思った。
本はその生い立ちからアップルの創業に至る道、会社の成功と追放、苦難の時期を経てピクサーでの新たな成功とアップルへの帰還、次々にヒット商品を産み出しつつ、健康問題からやがて亡くなるまでを大量の取材で克明に描いている。
ともかくまあ驚くべき波瀾万丈の人生である。

ところで、かつて早川書房から出版された「アップル〜世界を変えた天才たちの20年」という本がある。著者はジム・カールトン、訳は山崎理仁。
これはアップルと言う会社の歴史を綴ったノンフィクションで、その創業からジョブズの復帰までを追った内容である。(訳者あとがきによれば日本版の出版がiMac発売3日前、という時期の本である)
これまた面白い本で、アップルという会社が実に素晴らしい革新的な事を成し遂げたところから始まり、その後20年、ひたすらに混乱と凋落を続けていく様が克明に描かれている。

今回、「スティーブ・ジョブズ」を読んだ後ちょっと本棚から引っぱり出してみた。
最終章には、iMacの発表の様子が書かれている。(以下鍵カッコ内は引用)

当時、どん底に喘ぐアップルが、起死回生の一発として放った常識を覆すマシン、iMac。
ジョブズはその発表を「この会社はふたたび偉大になれるし、われわれはまさにその方向に向かっていると思う」と言って閉めたという。
筆者はその講演を聴いた直後、「気がつくと私はジョブズが正しいかもしれないと信じていた」と書く。
しかし、講堂をでた直後、彼は正気を取り戻し、「映画館を出て現実に引き戻された時のような思いをした」。
そして、いかにiMacが素晴らしかろうとも、もはや往年のアップルの力を取り戻すには役不足であり、いずれは「より大きな企業に呑み込まれるかついに顧客が誰もいなくなるのではなかろうか」という悲観的な予想をしてこの本を終えているのである。

1997年当時の、アップルに対する冷静な分析がこれである。
それから10数年、われわれはその予想が外れた事を知っている。

「スティーブ・ジョブズ」には彼に率いられたアップルがその後、誰も予想していなかった巨大な成功に向かって行く様子も克明に書かれている。

と言って、決して偉業を褒めそやすばかりの内容ではない。ジョブズ氏の人となりの負の面も色々と書かれている。
口が悪く、態度は横柄、冷酷で高慢で利己主義。常に特別でありたいし、周囲からは特別扱いをされていたい。会議の席でプレゼンのスライドが2〜3枚続いただけで飽きてきて文句を言う。
そんな、欠点だらけの人間が、Macを産み出しipodを産み出しiphoneやipadまで次々と魅力的で革新的な物を作り出す。
このギャップがたまらなく興味をそそる。面白い。

聖人君子だけが世界を導く訳ではない。むしろ欠点だらけの人間が、時と場所を得てとてつもない偉業を成し遂げる。それがこの社会であり、だからこそ現実は面白いのだと、俺は思う。
個人的に付き合いたいとは思わないが、彼の物語をぜひとも描いてみたいと思う、そんな魅力を秘めた人物だったと、心から思う。
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by w-edge-t | 2011-11-04 19:06 | 日々の暮らしで考えた

野球の話

プロ野球のベイスターズ身売り話が持ち上がっている。
新しい親会社はDeNAになる方向で進んでいるらしい。
新チーム名の候補が「横浜モバゲーベイスターズ」。
いやー、すげえ名前である。3回唱えたら早口言葉になりそうである。役者の基礎練に使えるレベルで言いづらい。

正直、俺は横浜のファンでもなんでもない。
だから余りこの件に関して発言権があるとは思わない。
いや、出資とかしてない限りそもそも発言『権』などないかもしれないが、熱いファンであればそれでも言わずにおれない何かがあるかもしれないとは思ったりする。
それもない俺としてはただニヤニヤと眺める程度である。

そもそもセ・リーグにはほとんど興味をもたずに来た。
ガキの頃から渋好みで変わり者の俺は昔っからパ・リーグ一本槍である。
選手で言うと東尾が好きだった。
かつてライオンズの黄金期にエースだった、あの東尾である。

通算与死球記録歴代1位の東尾である。
そのくせ通算無四球試合で13位の東尾である。
つまり「すっごいコントロールがいいのにすっごい死球が多い投手」なんである。へそ曲がりな俺にはサイコーにカッコ良く映ったのであった。

そして身の回りにもパ・リーグのファンが多かった。学生時代は近鉄ファンの友人やら日本ハムファンの友人などに囲まれ、気軽に観戦に行く近場の球場と言えば川崎球場という見事なパ・リーグファン街道を突っ走っていた。
近年はすっかり野球も観なくなった俺だが、気が付いたら母親が日本ハムのファンになっており、家でナイター観ながらユニフォーム着て稲葉ジャンプする姿には戦慄を覚えたりした。
てな訳で俺の周囲ではプロ野球と言えばパ・リーグ、セ・リーグの方が断然マイナーという偏った環境なのである。

そんな俺からするとベイスターズの身売りなどは対岸の火事もいいところというか、接点まるでなしな出来事であって何も言う資格もないのだけれど、ただまあファンの皆様にはご同情申し上げるばかりと言う感じである。

だって『横浜モバゲーベイスターズ』だぜ?
そもそも「ベイスターズ」って愛称自体が2語からできた造語なのがまた痛い。
意味の上から切り離すと「横浜/モバ/ゲー/ベイ/スターズ」だから5語からできている訳で、しかも大半が2音節という短さ、「モバ」と「ゲー」に至っては略語である。
率直に言って壊滅的な言語センスである。

知らん人が見たらどこで切るかもわからんのではないか?
「横浜/モバゲーベイ/スターズ」とか切り離しちゃったりしてなんかわからんが語感からするとドイツの会社かな?みたいな勘違いを生んだりしないんだろうか?

プロ野球チームを持ちたがる理由は、進境著しい会社が世間に認知してもらうための最後の一押しに利用したくて、と言うのが多い気がするのだが、この場合どうなんだろうか?
なんかセンスの悪さを満天下に晒しているだけのような気がするのだが大丈夫なのか?
余計なお世話か。

(10/26 誤字修正)
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by w-edge-t | 2011-10-25 14:59 | 日々の暮らしで考えた

暑い

昨日、8月8日は立秋だったそうな。
暦の上では秋、というやつである。悪い冗談のようだ。
関東ではむしろここ数日、いよいよ暑くなってきている。
これから本格的な夏到来、というムードである。
実際問題、外出するとその暑さにまいる。何もやる気が起きなくなる。
空を見上げれば真っ青な中に大きな入道雲がむくむくとそびえ、かと思うとさっきまで晴れていたのが嘘のように突然、雨が襲ってきたりする。

夏以外のナニモノでもない。
が、暦の上では立秋。

これからいよいよ九月の芝居に向けて稽古が始まろうかというタイミングなのに、実に困る。
おまけに稽古場はクーラーなくて半端な暑さじゃないのである。
秋なら秋らしくしていただきたい。

これはやっぱりアレか、素人考えだけれど、地球温暖化というやつなのか?
俺が子供の頃、日本は温帯性気候であると習った記憶があるけれど、今や日本は熱帯、或いは亜熱帯。そういう気候になってしまったのだろうか?
ゲリラ豪雨はつまりスコールであろうか?

日本人は「南の島」というのをある種の楽園として夢想してきたと思うのだけれど、住んでる場所が楽園になってしまったという事なのか。

……楽園じゃやる気が起きなくても仕方ないのか?

ダメダメ、仕方ないとか言ってる場合じゃない。気合い入れて行こう!
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by w-edge-t | 2011-08-09 15:17 | 日々の暮らしで考えた

地デジ難民という最先端

何を隠そう、地デジ難民である。
アナログ放送が停波して以来、テレビを見ていない。
ニュースはもっぱらネットで見ているし、TVモニターはDVDとゲームに使われているばかりである。

もともと、難民化の予定はあった。いわば計画的地デジ難民である。
前も書いたがイマドキのテレビ番組にあまり期待を寄せていないので「しばらく砂嵐もいいじゃないか。俺と同じような事考える奴がいっぱいいれば劇的に視聴者数が減ってテレビ局も慌てるだろグヒヒ」などと下衆な妄想に耽っていたのである。
ところがそうやって悠長に構えていたらひと月ほど前、家族が慌て出した。
やっぱりテレビがないのは困ると言う。俺は下衆な妄想で楽しめるが俺の家族は俺ほど下衆じゃないので妄想だけでは退屈なようだ。

んでまあ色々あって、この際CATV入れるか?みたいな話になって、連絡取ったらギリギリ間に合うかな?みたいなスケジュールで工事までこぎ着ける予定になった。
せっかくの地デジ難民になり損ねるのか、ああブームに乗り損ねてしまったと残念に思っていたところ、最初に下見に来たCATVのスタッフが、「結論から申し上げますとこのままでは線が引けません」と申し訳なさそうに言ってきた。
なんでも我が家の建ち方の問題で、引き込むケーブルが低くなってしまい家の前を通る車に当たってしまうらしい。対策としては家の前に背の高いポールを建てて、一旦そこにケーブルをつなぎ、そこからさらに家までは地中を通るように工事をして……
なんてなえらい大げさな工事の話をし始めたので素直にあきらめた。
すごく見たい訳でもないのにそこまで大仰な工事をする気にはなれない。

結局アンテナを地デジ用に切り替えてもらう事にしたら、案の定間に合わず、今や絶賛砂嵐放映中である。
一応人事は尽くしたので家族にも白い目で見られる事なく、大手を振って難民生活をエンジョイしている。
実際問題、家族もつかなきゃつかないであきらめてるようで、DVDとゲームで納得している。
やや不便な点としては、ニュースがネット頼りになるので家族一緒に知る事がない。だからニュースについて話をする時面倒くさい。
「あのニュース聞いた?」
「え?それなに?」
みたいなやりとりから始める事になる。これは若干手間ではある。
それ以外さして困る事がない。むしろ視聴時間が減った分一日の時間が増えた感じでお得感すらある。

地デジに対応して手に入るのが以前と同じテレビ番組だとするなら、地デジ難民になった方がよっぽど新しい経験ができたように感じるのは俺が下衆だからだけではあるまい。
まあ週末にはアンテナ工事が入る予定になっているのでそれまでの短い間ではあるが、地デジ難民という流行の最先端を存分に満喫しておこうと思う。
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by w-edge-t | 2011-08-02 11:00 | 日々の暮らしで考えた

台風

台風が近付いている。
なんかでかいらしい。というか、遅いらしい。遅いって事はそれだけ一カ所に大量に雨を落とすので、大変である。
今もすでに東京の我が家の窓外では、不穏な風に吹かれて木々が揺れている。台風自体はあんなに遠くにいるのに早くもこの様子である。近付いたら一体どうなってしまうのか。

高知では24時間で700ミリ以上降ってるらしい。
700ミリって、70センチってことだから、まともにたまったらそのまま風呂になるぐらいの量である。大変な事だ。

3.11地震にせよこの台風にせよ、日本はつくづく自然災害の多い国だと思わざるを得ない。こんな次々過酷な自然災害が襲ってくる中で、エコロジーとか自然を大事にとか言われても戸惑う。むしろ自然が人間を大事にして欲しい。

思うに日本に西洋式のエコロジーというのはそぐわないのではないか?
だって自然の様相が違うんだから。そこで暮らしていくための文化が違うんだから。

実際この台風だって本当直撃してる場所では大変だろうと思う。思うけれど一方で、「お陰で少しは暑さが一息つけるな」とか思ったりするのもまた事実であったりする。それが日本の自然だし、それに対する我々の感覚だろうと思うのである。

地震なんかほとんど起きない国で、石造りの家に住み、森を根こそぎ焼き払いながら文明を築いてきた国と、木と紙でできた家に住み、色々作ってみたりもするけれど、地震やら台風やらで年中ひっくり返され、でも一方ではそのお陰で豊かな実りの秋を迎える国。この両者が同じ基準で「自然を守ろう」とか言って、うまく噛み合う訳がないんじゃなかろうか?

日本人はそもそもそれほど過酷に自然を破壊していないし、逆にまた日本の自然は、人間の手で守らねばならないほど脆弱ではないのではないか?
……無論一概に言えないのは百も承知、敢えての暴論である。
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by w-edge-t | 2011-07-19 16:12 | 日々の暮らしで考えた

テレビ事情

マスコミの報道を見ていると、あたかも3.11東日本大震災が、だいぶ過去のことになってきている感じを受ける。

無論現実はそんな簡単じゃない。
いまだに東北の被災地の方々は相当数が不自由な暮らしをせざるを得ない状況だろうし、俺の暮らす関東圏だって福島原発から漏れた放射性物質にさらされている。
この状況はまだ何年も続くだろう。下手すりゃ俺の残り人生の間は戻らないかもしれない。つまりは世界は変わりっぱなしでもう戻らない、そういう時代の一大転換点だと言う事だ。
それなのに例えばテレビはもうすっかりそれ以前に戻ったかのように、旧来と変わりない番組編成に戻っていたりする。

それは一方では仕方がない。何も年がら年中、現実の中の敢えて苦しい部分ばっかりクローズアップして語る必要もないのだし、日本全体を考えるなら被災してない人だっているのだし。

そうやって考えると変わらなくたって全然構わない。
構わないけど、その反面、変わらなきゃいかんだろと思う気持ちもある。
だって世界が変わっちゃったんだぜ?と。

これから先の世界は、消費電力に気をつけながら、放射線から身を守りながら生きていく、そういう世界なのだ。日々色んなことに気を配りながら、目を配りながら生きていく、それが当たり前の世界なのだ。
ついこの間までとは全然違う人生観がそこにはある。
そんな風に世界が変わったのに、テレビモニターの向こうはあまり代わり映えがしない。
相変わらず政治家は政争を繰り広げ、それを伝えるキャスターは訳知り顔でこの国の行く末を案じてみせる。テレビショッピングは甲高い声で値段を叫び、アイドルたちが人気投票の票数を競って涙を流したりもする。

別にバラエティ批判とかそういうことじゃない。真面目なドキュメンタリーが偉いとも思わない。ニュースだけに価値があるなんて事を言うつもりもない。
ただ、様々な番組作りのその手法というか、切り口というか、そういう物の変化が、あの大きな事態の前後でほとんどない事に、失望を感じるのだ。
テレビは時代を映す鏡だったのに、もはやそうではなくなってしまったのだな、という慨嘆である。
視聴率の低落傾向というのはずいぶん前から言われる事であるけれど、いよいよテレビと時代との乖離が無視出来ないところまで大きくなってきたなと思うのである。
そしてそんなタイミングでデジタル放送への切り替えが行われる。
これを機に視聴習慣が減る人も多いのではないか?
そしてますますテレビと現実は乖離していく……

リビングにテレビがあり、そこに家族が集まるという家庭は、今どれぐらいあるのだろう?
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by w-edge-t | 2011-07-04 20:51 | 日々の暮らしで考えた


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高山なおき プロフィール

ダブルエッジ 作家
1969年7月6日生まれ

主な作品
○映画
「娘道成寺~蛇炎の恋~」(高山由紀子と共同)

○演劇
「ダブルエッジの忠臣蔵!」
「輪廻くん」
「天気待ち~waiting for the sun~」(奈良橋陽子と共同)  他

○ラジオドラマシナリオ
NHK-FM「魔法の王国売ります!」他

○テレビドラマシナリオ
NHK「ゴーストフレンズ」 他

○ゲームシナリオ
東芝EMI「ずっといっしょ」

○小説
ZEST「ずっといっしょ~秘密の星空~」

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