いよいよと言うか、ようやくと言うべきか

さて、
いよいよと言うか、ようやくと言うべきか、
今年のダブルエッジ本公演の日程が決まった。
このブログ右上に掲載したように、8月2、3、4日である。
会場はいつもお世話になっている明大前の「キッド・アイラック・アート・ホール」さんに今回もお世話になる事となった。
現在、俺が企画書を書き田辺の了承を得て、いよいよ台本の執筆にかかったところである。
ダブルエッジの原点とも言うべき、ワンシチュエーション、少人数、それでいてドラマチックな作品、そんなものを目指して作っていきたいと思っている。
タイトル、ゲスト出演の役者さん、タイムテーブル等はまた改めて発表させて頂きたいと思う。
全力でかかるのでどうかご期待頂きたい。

閑話休題。

最近知ったのだが、「エンダーのゲーム」が映画化するそうな。
予告などがネットに流れてて知った。
「エンダーのゲーム」ご存知だろうか?
1985年ヒューゴー賞、1986年ネビュラ賞を取った傑作SF小説である。
人気があり続編も多数存在する。とりわけ直接の続編となる「死者の代弁者」はなんとエンダーのゲームの翌年に、ヒューゴー、ネビュラ両賞を獲得した大傑作だったりする。
シリーズ物が連続してこれらの賞を取ると言うのは他に類を見ない出来事だったりするのである。
それほど、SF界では抜きん出た傑作なのである。
SF好きの俺としては当時夢中になって読んだものであった。

それが、いよいよと言うべきか、ようやくと言うべきか、今年なって映画化すると言う。
正直、期待半分、不安半分な感じだったりするのである。
さて、とりあえず、久しぶりに原作に目を通してみようかしら?
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# by w-edge-t | 2013-05-21 22:07 | 日々の暮らしで考えた

二度見させるパワーを持った「それ」

「二度見」と言う表現は今や結構メジャーなのか。
試しにグーグルで検索したら余裕で100万以上引っかかった。

「あり得ない事があまりにも自然に存在する状況に対するリアクション」
とでも説明すれば良いのだろうか?説明した気でかえってややこしくなるパターンにはまってるか?

ベタな演技の代表格のように言われる表現である。
例えば、死んだと思っていた父が帰ってきて、家族に交じって普通に談笑していると、そこに通りかかった主人公が家族に声をかけ行き過ぎようとしてから何か違和感に気付き、もう一度見て改めて父親を見てビックリ……、てな使い方であろうか。
或いは驚く対象が人間でない場合なんかにも使われる。壊したと思っていた壷が元に戻ってるとか、そんな場面で「二度見」をする。

望外の驚きを表現する演技のパターンなのである。「ビックリ」と言う表現の変形、極端に驚いている様であり、コメディ的要素もある。敢えてわざとらしくやる場合もあるし、うっかりわざとらしくなっちゃう場合もある。

うちの相方、田辺がこれの名手である。酒の席なんかでもリクエストに応じて様々な「二度見」をやってくれて盛り上がったりする事もしばしばである。

いずれにせよある種の誇張表現であり、普通現実ではやらない。現実にない動きなので「ベタな演技」と思われるのであろう。

……と思ってたら、先日、現実にやってしまった。
それも、誰も見てない所で。

その現場は深夜の実家であった。普段はあまり覗かない部屋が、その日たまたま襖が開いていて、廊下を通りかかった俺は室内が見えたのである。
元々その部屋がどんなレイアウトだったかとか、どんな家具が置いてあるかとか、そんな事こっちはいちいち覚えていないので、何があろうと別に気にせず、部屋の前を通り過ぎたのである。
その時目の端には、室内にある「あるもの」が映った。
それはよく見知った形の物であった。
しかし、以前それを見た場所はここではなかった。
以前にそれを見たのはどこだったろうか?そうだ、テレビの中だ。テレビで見た物がここにあるのだ。そんなバカな!何かの見間違いではないか?本当にそれだろうか?
そして俺は、ひと気のない深夜の実家の廊下で、二度見をするハメになったのであった。

確かにそこにあったのはそれであった。
印象深くテレビに登場していたアレであった。
それは……

「レッグマジックX」であった。
母よ、通販にハマり過ぎだ……
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# by w-edge-t | 2013-05-14 09:26 | 日々の暮らしで考えた

「迷宮の女王」のこと

ダブルエッジの旗揚げは1998年であった。今からもう15年も前である。
前年、「才能の巣」でもって田辺と一緒に芝居をやった後、「一人芝居じゃ限界があるが、ゲストを呼んで二人程度の芝居を作っていけば、バラエティ感も出るし続けていけるんじゃないか?」と思いつき、田辺と二人で話し合って、「演劇ユニットダブルエッジ」としてやっていこうと合意するのである。
旗揚げは秋、9月だった。

ちなみに旗揚げ第2弾も同じ年、11月である。
中二ヶ月。ムチャクチャな進行である。これは旗揚げというからにはなんか派手な事を、と考えて、2作品連続公演!と打ち上げたのであった。
実際には旗揚げの準備中はとても二本目の準備をする余裕などなく、その後の2ヶ月ははなはだ大変な目にあうのだが、それはまた別の話。

そもそもこの公演自体の準備も相当大変であった。
旗揚げはアトリエ公演であった。というか、当初ダブルエッジはアトリエ公演を主体としてやって行こうというコンセプトだった。俺の実家の方にたまたま使えるスペースがあり、そこを有効活用していこうというテーマがあったのである。
で、この時は旗揚げなので公演の準備と共にアトリエをお客様にお招きできるレベルにしつらえると言う作業もあったのである。
具体的にいうと大道具と共に客席のベンチなんかも一緒に作らねばならなかったのである。
しかも我々はたった二人のユニットである。慢性的マンパワー不足は当時は今よりひどかった。声をかけられる知り合いもほとんどいなかった。仕方ないので二人で交互にアトリエに泊まり込み、徹夜で作り物に精を出したりして、何とか本番に間に合わせたのであった。

芝居の内容はゲストに女優さんを呼んで、割とスケベったらしい内容であった。
舞台は会社の就職説明会という態で、集まった観客がつまり就職希望者たちという形で始まる。
色々と好き勝手喋ったオッサンが質問を促すと、客席から一人の女が手を挙げ、「私を覚えてますか?」と聞く。実はその女はかつて面接官のオッサンの愛人として、手ひどい目にあわされた過去をもっていたのだった……

我々がやってるのは芝居であって、ポルノ作るつもりはない。ストリップをやる気もない。そっちにはそっちのプロフェッショナルがいて、我々はその方面には素人である。
では我々がセクシャルな内容を扱う時、どうあるべきか?実際に女が脱いだりはしない。直接的な表現はしない。しかしセリフと物語を上手に使えば、直接脱いだり触ったりするよりも興奮させる事はできるんじゃないか?
……そんなような事を考えて作った芝居だった。
暗く、インモラルな内容であった。
そんな作品を旗揚げでやるのもいかがなものかとも思うが、「才能の巣」だって結構インモラルである。ようは当時の我々の作風自体がインモラルだったのである。

ともかくもこの舞台でもって「ダブルエッジ」は出発した。
んで、インモラルばっかりもいかんだろと、旗揚げ第二弾は思いっきり明るく楽しく、おもしろ方向に舵を切ってダブルエッジの幅を見せようと張り切るのであるが、その時点で本番まで残り二ヶ月、台本は一行も書けてない状況で大慌てで準備に取りかかっていくのであった。
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# by w-edge-t | 2013-05-07 12:27 | 時には昔を思い出す

ストロベリーマンを見て

先日、田辺からの告知を載せた客演作品、ミノタケプランさんの「ストロベリーマン」。俺も見せてもらった。
面白かった。
以上。

……ではあまりに味気ないので色々蛇足を書く。
しかしよその劇団の芝居についてあれこれ書くと言うのは難しいのだ。
いや、何も知り合いだから言葉遣いに気を使うとか、そんな話ではない。

ミノタケさんは、田辺の客演を通じて交流がある劇団である。
毎回、丁寧な作風で感心させられる。今回も実に隙のない作品であった。
作家と役者各一人づつの団体という所もうちと同じで親近感がある。
しかしそっから先は全然違う方向性で、出来上がりの芝居のスタイルも、扱うモチーフやテーマも大きく違う。
無論、それぞれ違う事考えているから違う団体なんであって、そこを揃える必要もない。
むしろ違うからこそ、田辺にも普段うちではやらないような役の話を頂けるのであって、それは感謝である。

違ってていいのだが、違うこと自体は事実だ。
そして俺は、自分の方向性が正しいと信じて日々研鑽しているのであって、他の方向性については語る言葉を持たない。評論家じゃないので、自分の考えを語る事には努力もするが、他人の考えについて論評する言葉はあんまりないのだ。
いきおい、よその芝居についての感想は、方向性に触れない範囲で語る事になる。すると残るのは技術論のみになる。
でもそれって正しいのだろうか?と思ったりする。芝居を技術だけで語ってどうする?自分の作品が技術論だけで語られてて、内容やテーマについて触れられてなかったら、「ああ、伝わらなかった、失敗だ」としか思わないだろう。
かといって他の劇団が抱えるテーマを、自分たちが抱くテーマと違うと言う理由でぶった斬るというのもおかしいと思う。違って当たり前なんだし。
テーマはこう、内容はこう、技術的にはこう、などと、きちんとした視座を持って語るほどに第三者的な距離感で芝居を語る言葉を醸造もしていない。だって評論家じゃないんだもん。

つまんないものはつまんないとわかる。ただ、わざわざ喧嘩をふっかけて歩く趣味もないので、基本的には口をつぐむ。
面白いものには素直に面白いと言いたい。それは声を大にして言いたい。でも「面白い」以上の表現を第三者に伝えるのは難しい。そういう言葉の使い方についてあまり研鑽を積んでないから。

そんな、今現在の自分の状況を表明した上で、俺にできる範囲の感想を書く。

ストロベリーマン、面白かった。俺には絶対書けない本だと思った。
以上。
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# by w-edge-t | 2013-04-30 09:43 | 日々の暮らしで考えた

新し懐かしい新番組たち

もう何年も、「毎週欠かさずこの番組を見るぞ!」というようなテレビ番組はなかった。
別段テレビを見てない訳じゃない。
バラエティなんかでお気に入りはある。だが「欠かさず」見てるかと言うと違ったりする。何もなければほぼ毎週見るが、用事があれば見ないし別に見逃した事を気にしたりもしない程度だ。
またスポーツの試合なんかも、まあそれなりに見ていたりはする。けどこれも全てを欠かさず、というほど特定のチームに肩入れはしていなかったりする。

「欠かさず」というノリにならないのは理由があって、要するに連続モノのドラマなんかをあまり見てないからであろう。

で、そんな俺が、この春の新番組でいきなり2つも、「これは欠かさず見よう」と思って見ている番組がある。
実際もうそれぞれ3話ほど放送があったが今の所欠かさず見ている。
ぶっちゃけ、2番組ともアニメである。
もともと原作が好きで、今回アニメが始まるので楽しみに見始め、満足してそのまま視聴を続けているのである。

一つは「宇宙戦艦ヤマト2199」である。
ヤマトだもの、見ない訳いかない。
元々のヤマトと言えば、それはもうなんと言うか、相当深い所に刻み込まれた、ルーツともいうべき作品である。影響を受けたとかそんなレベルではない。自身の基礎を作っている土台の一部という感じである。
あの一番最初のヤマトの、なんと面白かった事か。テレビシリーズも、映画版も、一体何度見たかもわからない。続編の劇場版も公開の度に胸躍らせて劇場に足を運んだが、なんと言っても一作目のテレビシリーズ。これに勝るものはなかった。
海は干上がり真っ赤に汚染された滅亡寸前の地球、降り注ぐ遊星爆弾、赤錆びた瓦礫が崩れ中から現れる未来的な宇宙戦艦、「地球の滅亡まであと**日」という毎回の煽り、グニャグニャと歪みながら超長距離を移動するワープ、有無をいわさぬ威力を感じさせる波動砲、異星の超科学を感じさせるコスモクリーナー、遥かな宇宙のロマンをかき立てるマゼラン星雲という目的地、相容れぬ異文化を感じさせるガミラス帝国、七色星団という宇宙の神秘とそこで繰り広げられる手に汗握る大決戦、滅び行くガミラス母星の物悲しくも醜悪な姿と清らかなイスカンダルで構成された目的地設定の妙……
たった一つの作品とは思えぬ程の見所のつまりっぷりである。今振り返っても実によくできてると思うし、またちょっと振り返っただけでこれだけスラスラ出てくるほど体に刻み込まれてる事に我ながら驚いたりする。
ただし、全てが手放しで素晴らしいかと言えば、やはり今の目で見た時には辛い部分も多々あって、その最たるものは絵であろう。
さすがに古いアニメであり、今見るとそれはそれはもう見てられないほど絵がガッタガタである。
先ほどグニャグニャ歪むワープと書いたが、ワープの場面じゃなくても年がら年中グニャグニャなんである。
それが今回のリメイクである。戦艦なんかの描写はCGモデルのようである。当然、全くグニャグニャしないのである。それだけで充分有り難いのである。
ま、全体的にやけに女性乗組員が増えてるなあとか、気に入らない点がない訳ではないが、大筋は変わってないのでこの際目をつぶろう、グニャグニャしないヤマトがイスカンダルまで行くと言う時点でこっちは満足である。

そしてもう一つ、欠かさず見ているアニメがBS11で放送中の「ぼくはおうさま」である。
こちらは名作児童文学のアニメ化である。
「どこのおうちにも こんなおうさまが ひとり いるんですって」という巻頭に掲げられた名文が全てを表す、子供のような王様が繰り広げるナンセンスな物語の連作シリーズである。
これまた原作が大好きだったんである。はるか昔、子供の頃、同じ本を何度も何度も繰り返し読んだものである。
現在は多分10冊を越える大シリーズだと思うが、俺が子供のころはまだほんの数冊しかなかった。その数冊のエピソードを、何度も何度も繰り返し、飽きもせずに読み返したものである。
児童文学の大名作の一つだと信じている、おうさまシリーズがついにアニメ化である。期待と不安が入り交じりつつ、その放送を楽しみにしていたのである。
そして実際に出来上がったものはと言えば、これは素晴らしい出来であった。
原作の挿絵そのままの雰囲気を保った絵にあわせて、原作の文章をそのままナレーションで読み上げる方式だったのである。
まるで絵本を読み聞かせてもらっているがごとき気分にさせてくれるそのスタイルは、例えば見就学児童とその親が一緒に見るのに最適な形であろう。それはこの作品のアニメ化としては最良の形なのではあるまいか。
俺自身、見ている間、実に見事に「おうさま」の世界に浸らせてもらっていて、大満足なのである。

かくしてこの春、お気に入りの番組が二つできた訳だが、共通しているのはノスタルジーを刺激されているという事であろうか。
俺もそういう年になったという事なのか?
或いは、アニメーションの作り手たちが過去の名作に対してその価値の根幹をきちんと理解した作品作りをしているという事であろうか。
スタッフの皆さんに敬意を表しつつ、今後も楽しんでいきたいと思うのである。
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# by w-edge-t | 2013-04-23 11:02 | 日々の暮らしで考えた


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高山なおき プロフィール

ダブルエッジ 作家
1969年7月6日生まれ

主な作品
○映画
「娘道成寺~蛇炎の恋~」(高山由紀子と共同)

○演劇
「ダブルエッジの忠臣蔵!」
「輪廻くん」
「天気待ち~waiting for the sun~」(奈良橋陽子と共同)  他

○ラジオドラマシナリオ
NHK-FM「魔法の王国売ります!」他

○テレビドラマシナリオ
NHK「ゴーストフレンズ」 他

○ゲームシナリオ
東芝EMI「ずっといっしょ」

○小説
ZEST「ずっといっしょ~秘密の星空~」

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